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発達障害の子供とともに過ごした幸せな時間

  • 執筆者の写真: ヒロユキ先生
    ヒロユキ先生
  • 2024年7月3日
  • 読了時間: 5分

更新日:2024年7月19日

私の子供は、限りなく黒に近いグレーのASDです。新生児~乳児期の子育ては、それはそれは大変でした。 何の因果でオレはこんな目に合ってるんだ?オレが何か悪いことでもしたのか?これなら死んだ方が楽じゃないか…何度もそう思いました。


今でこそ笑って話せますが、渦中の当時はほんとに苦しかったです。何が苦しかったかというと、「眠れない」ことです。我が子は抱っこしていても、体をカチカチにこわばらせていて、こちらに体を預けてくれることがありませんでした。


もちろんベッドでなんて寝てくれないので、夜も子供を抱いて歩き回りました。授乳の30分間だけ眠り、子供をあやしながら歩く。そんなことを一晩中、半年以上続けました。昼間は仕事、夜は抱っこでゆっくり眠ることができない無間地獄でした。


抱っこされて腕の中で眠る他所の子を見ると、とてもうらやましかったのを覚えています。我が子は抱っこしていても常にむずがっていて、頻繁にかんしゃくを起こすからです。子育てが楽しいなんて、恵まれた人間のたわごとだ…子育ては苦行だ…



身も心もボロボロでしたが、それでも抱っこをやめようとは思いませんでした。若かったのもあったのでしょう。ただ何よりも、抱っこをやめてしまうのは、むずがる子供とのコミュニケーションをあきらめてしまうように感じられたからです。


広大な砂漠に水を撒く思いで子どもを抱き続けていましたが、2か月目あたりから、子供の反応が変わってきました。抱き心地が柔らかくなってきたのです。こちらを信頼し始めてくれたようで、少しだけ体を預けてくれるようになったのです。


睡眠時間を削って、仕事の成果を落として、子供を抱き続けた甲斐がありました。子供との間に信頼関係が醸成されていくのを、文字通り、体を通して実感できたからです。親子というのは、初めから親子なのではなく、親子になるものなのですね。


また、子どもを抱き続けたことで、彼がなぜ眠らないのか、なぜかんしゃくを起こすのかも少しずつ分かるようになりました。彼は眠らないのではなく、眠れなかったのです。感覚が過敏すぎて、眠りたいのに眠れなかったのです。


空気の温度や湿度、衣服の感触、機械音やデジタル音、まぶしい光、どぎつい色、強いにおい…そういったこの世界に溢れる多くの刺激が、彼にとっては不快だったのです。私たちにとっては日常の刺激でも、彼にとっては苦痛以外の何物でもない…


長い長い肌の触れ合いを通して、私たちは、彼の苦しみを理解することができたのです。 泣きわめいたりかんしゃくを起こしたりしても、放っておくこともできたと思います。テレビやスマホを見せておけば泣き止んだでしょう。


でも、泣く子にテレビやスマホを与えるのは、子どもの苦しみに寄り添ってはいません。泣き止みはしても、「自分の苦しみを誰も理解してくれない」という思いは、子どもの中に残るのではないでしょうか?世界は自分に対して優しくない、と。


我が子は、理解の悪い私たち夫婦を見限ることなく、我慢強く泣き続けてくれました。おかげで私たちは、「私たちにとっての普通は、彼にとっては普通ではないのかもしれない」という当たり前のことに気づくことができました。


親と子供は別の人間である―これは当たり前のことですし、よく聞く話です。簡単に「理解」もできます。


ただ、教員時代によく感じたのは、「親にとっての当たり前が、子にとっては当たり前じゃないかもしれない」という大前提を見失っている保護者が意外に多いということです。親と子は別の人間であると頭ではわかっていても行動が伴わない…


私たち夫婦は、泣き止まない子供との長時間の肌の触れ合いを通して、この当たり前の事実を身に染みて感じました。納得し、体得したのです。これは、その後の子育て、子供の成長との付き合いで、非常に大きなアドバンテージになりました。


親にとっては何でもないようなことが、子供にとっては地獄のような苦しみなのかもしれない… 親がこう気づいてくれるだけで、子供の心はずいぶん楽になります。また、こう気づいた親は、子供が苦しまない別の方法で成長を促せないか考えます。


親にとっては普通なことが、子供にとっては苦痛なのかもしれない…こう気づいた親は、何が子供をそんなに苦しませるのか、どうすればその苦しみを和らげられるのか、研究するようになります。我が子の『専門家』としての覚醒です。


障害は子供によって千差万別です。医学的な知見や一般論では、医者や学校の先生に敵わなかったとしても、「我が子」の凹凸に関しては、誰よりも長い時間を共に過ごした親こそが、一番の『専門家』です。


スマホやゲームに子育ての労力を肩代わりさせてしまうと、この『我が子の専門家』としての知見が狭まります。自分とも、他のどの子とも違う我が子の特質を、誰よりも理解していないと「専門家」足りえません。(息抜きの時間は当然必要ですが)


我が子は、高校まで塾に通うことすらなく、公立校から早稲田大学と大阪大学に合格しました。勉強に苦しんでいた風は一切ありません。彼は自分の好きなことを好きなだけ追求する生き方の副産物として、一流大に合格したのです。


その彼の、好きなことや長所を一緒に見つけ、育てていくことができたのは、あの抱っこし続けた時間があったからこそです。スマホやテレビ、ゲームに逃げなくて、本当に良かったと思っています。


メールからご連絡いただければ、「新しい学力」づくりや子育て習慣、親子関係の在り方についてアドバイスや実行支援をいたしますので、お気軽にお知らせください。

 
 
 

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